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ものづくりのまち燕三条

燕三条は新潟県の中央、信濃川沿いに位置する、面積約540km²、人口約18万人の地域です。山々からミネラル豊富な雪解け水が信濃川に流れ込み、肥沃な大地を形成し、米をはじめ、野菜、果樹など上質な農作物が作られる農業地域であり、また、日本で一番社長が多い街とも呼ばれ、家族経営や数人程度の小規模な企業が、刃物や金属洋食器などの金属製品を中心に、世界に誇る多種多様な製品を製造しています。燕三条の「ものづくり」の歴史と伝統をひも解くと、江戸時代の和釘づくりが転機であるといわれています。江戸時代に大規模な新田開発が行われ、それに伴い農具を中心とした刃物作りが発展しました。また、江戸から膨大な和釘の需要を求められ和釘製造が盛んになりました。

明治時代になると、和釘鍛冶から大工道具や庖丁などの刃物鍛冶への転換が進み、これらの製品は信濃川の河川を利用した流通の発達により、金物商人を通じて全国へと届けられました。越後平野の中心地で河川の合流地でもあったことから、街道の宿駅であり、河港として船便に恵まれていたため、都市への輸送だけでなく、物資の集散地としても商業が発達し、広く鍛冶製品の品質が知れ渡りました。現在も燕三条では金物卸売業が盛んで「ものづくり」の担い手と切っても切れない関係にあります。熱した鉄を繰り返し打ち叩いて鍛え上げ研ぎ澄ます技術から生み出される道具は、何年、何十年と使い続けられ、研ぎ直しのために鍛冶職人の手に戻ってくることも多くあります。

一方で鎚起銅器の製法が伝えられたことなどから、和釘鍛治とは別に和釘作りから銅器などの金属加工業へ転換していく職人もありました。一枚の銅板を叩き上げ生み出す急須や花器は、使う程に光沢を増すと言われています。また、長年培ってきた金工技術の評判により、大正時代に入ると洋食器の生産に金工技術が活かされました。その後も鍋やケトルといった金属ハウスウェアも手掛け、金属加工一大生産地へと発展してきました。工業化が進んだ現代でも鍛冶や鎚起などを始めとした伝統的な技法を守り続けている職人も多数存在しています。さらに伝統を守りつつ科学的な検証・知見により、技術を見直し、時代の流れに合わせ、現代の暮らしを豊かにするため、その製品を日々更新し続けています。

農業と商業が、工業と有機的に結びつきながら、世界有数の高度な技術集積地となった「ものづくりのまち 燕三条」。現在では製造現場を開き、職人とユーザの距離を縮める取り組みが数多く行われています。代表的なイベントが「燕三条 工場の祭典」。毎年10月初旬の4日間、燕三条の100以上の工場をオープンファクトリー化し開催されるこのイベントは、普段一般公開されていない数多くの工場が開かれ、見学や体験をすることができます。製品を産み出すKOUBA(工場)や、農業に取り組むKOUBA(耕場)、地元の産品に触れ、購入できるKOUBA(購場)。燕三条の様々なKOUBAを巡って、濃くて深いものづくりの魅力を体感できます。

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